今月誕生日でした!
少し前の話になりますが、スタッフに誕生日を祝ってもらいました!もう良いお年頃なので歳を重ねても感動はありませんが、こうして社内でお祝いしてもらうことは大変ありがたいことです。
みんななんとなーく誕生日プレゼントを渡す相手の近況を観察したり(何が欲しいんだろう、とか)、会話の中で察したり、そんな相手のことを思う瞬間が1年に1回あっても良いのではないでしょうか。
ちなみに今年のプレゼントは最近おやつにトリュフナッツを食べていることもあって、ナッツ系(健康にいいやつ!)やトリュフのおやつ、嬉しかったのはフォトフレームなんかもありました。
(フォトフレームはおそらく、タカギに子供ができた→子供の写真をたくさん撮る→家で写真を飾るだろう、となんとなく察したんだと勝手に推測。まさに我が家でちょうど欲しかったもの!)
1年に1度ですが、こうして誕生日プレゼントのやりとりをするのは
KOMの文化の一つ
と言ってもいいでしょう。スタートは最初のスタッフが入った頃から、タカギが勝手にプレゼントしてきたことが脈々と続いてきたものです。強制じゃないけど半強制だし、もしかしたら無駄かもしれない、今の時代に合ってないかもしれない。
色々なことを考えますが、それもひっくるめて『文化』と呼ぶのではないでしょうか。
効率を重視しすぎると文化がなくなる
一時期、スタッフの発案で『誕生日プレゼントはみんなで1つにしよう』的な動きがありました。スタッフ主導なので深く聞いてませんが、毎回全員がそれぞれ考えるの大変だし、まとまったお金の方が高いものが買えるし、みたいな文脈だったと思います。
結論から言うと、タカギ的には大失敗だったと思います。
確かにプレゼントを買う手間は全員で1回(1人)でいいし。
それはわかるけど、その手間って端折るべきものだったのかなと、今思い返すと疑問に思います。
同じようなことで、『印刷物の実績写真を1つずつ撮るのはやめよう』という判断もありました。
たくさん実績がありすぎて写真が1点ずつだと撮るのが大変だから、まとめて撮ろうぜ、というノリです。これも確かに効率化を図るためにスタッフ内で決まったものですが、果たして今となってはかなりの疑問です。
1点1点大事にデザインして、写真で勝負している会社が、世に広めるための写真を、効率重視で簡略化してしまって良かったのだろうか?
これについては、改めて新しいスタッフと一緒に、しっかり考え直しているところです。
当時のスタッフ達の判断を責めるつもりはありません。
小さな視野のスタッフでは、先々を見越せなくて(判断を間違えて)当然だと思います。
視野が狭いと"無駄"と思えることにも、実は大事なことがある
KOMでは1年に1度、伊勢神宮のご祈祷に向かいます。同じルートで同じような1日を過ごして帰るだけ。これも文化です。毎日のスケール感でいうと、雑務と言われる細かい仕事(ブログの写真を撮ることやオーナーさんにお水を渡すなど)は若いスタッフが担当しています。
これも1つ1つ、無駄と思われることも深い意味があって続いてきたことです。
面倒だからやらない、無駄だから誰かに任せよう。
年齢を重ねると「あれは無駄じゃなかったんやー」と思えることがたくさん見えてきます。
若いと、思慮が浅いと、誰に何を言われてもそこに気づけないのは当然のこと。
その先輩や経営者達は、論破するわけでもなく上手く気づかせてあげることが企業文化を作るのかなーと考えたりしました。前述したように、トライして失敗したものは反省してシレッと元に戻せば良いですし。
価値観が合致する人たちと一緒に働いているつもりなので、めちゃくちゃ違和感を感じたことはないですが。それでも失敗はありますよ。
超効率重視!面倒なこと嫌い!無駄なこと嫌い! そんなことを考え、続けてきたタカギだからこそ、改めて『無駄』というものについて今とても向き合って、考えていたりするのです。
このコロナ禍からアフターコロナ時代。
固定費削減するなら全員リモートで良い中で我々はかなりの投資をして事務所を移転したし、多忙な中、1分でも惜しい業務時間の中でブログも書いたり、おやつも食べてたり、誕生日ケーキはみんなで集まって食べます!。
どうやら、無駄というものが、どうやら個性や差別化を生むのかもしれん。。。奥が深い!